こんばんは、白蜜(しろみつ)です。
今日は投資関係の話題はゼロ。
完全に政治…というか民主主義について簡単に書きます。
本日、首班指名選挙で石破さんが総理大臣に指名されました。
正確には「内閣総理大臣指名選挙」かな?
1回目で過半数の候補がいなかったため2回目、つまり決選投票が行われました。
結果としては石破さんが総理になったわけですが、報道によると国民民主党や日本維新の会が石破さんや野田さん以外の名前(自分の党の党首)を書いたらしいです。
これはそれぞれの党首が事前に予告していたので驚きはなかったのですが、このニュースを聞いて僕はガッカリしました。
これらの党の言い分としては「石破、野田どちらも選びたくないというのが民意だ」ということらしいのですが、これを本気で言っているとしたら彼らは民主主義の本質が全く分かっていないと思います。
民主主義というのは100点満点の候補、あるいは80点以上で合格ラインに達している候補を選ぶものではありません。
もちろん立候補者の中に100点満点の候補がいて、有権者が「ぜひこの人に国のかじ取りを任せたい!」と心から思うことが出来ればそれはすばらしいことです。
しかし、現実問題としてそのような人物が与党や野党第一党の党首になっていないことの方が多いと思います。
そのような時に「100点満点の候補がいないから無効票を投じる」ということが望ましい行動かどうか、野党のみなさんはよく考えるべきです。
民主主義とはすばらしい人物、聖人君子が誰かを選ぶものではなく、立候補者の中でどの候補が「よりマシか」を選ぶものです。
つまり国民民主や維新が無効票を投じようとも、必ず石破さんか野田さんが総理大臣になるのです。
石破or野田。
どちらを総理大臣にした方が日本にとって「よりマシか」。
それを判断する権利と義務を持っているのにあえて正しく行使しなかった人が84人もいたのです。
立憲民主党と理念や基本政策が合わないのは分かる。
自公政権を支えたくないのも分かる。
ただ、どちらが「よりマシなのか」。それを判断し投票する。
そういう権利だけではなく義務も国会議員にはあると、僕は考えます。
多くの国民の票を得て議員になったのですから、どちらがマシなのかを判断して権利を行使し、その判断について責任を負う。
そういう権利と義務とが国会議員にはあるのに、84人の方々はその義務あるいは責任から逃げたとしか言いようがない。
個人的には自公政権には問題が多いと思うし、立憲民主党の思想は好きになれない。
ただ、それを押しのけて日本を正しい方向に導く意志と能力とを持った第三者が今の日本にはいないことが非常に残念です。
長くなってしまったので今日はここまで。
玉木さんの不倫問題と代表続投についても言いたいことはあるがまた別の機会にw