こんばんは、白蜜(しろみつ)です。
東京五輪の開会式で演奏される楽曲制作を担当する小山田圭吾氏に対する爆笑問題・太田氏の発言がプチ炎上してる件について。
小山田氏が過去に悪質ないじめを行っていて、そのことについての発言が音楽雑誌のインタビュー記事に載っていたということらしい。
それに対して太田氏が、今の価値観だけではなく当時の価値観がどうであったかを考慮すべきという主旨の発言をしたことが炎上の原因とのこと。
僕は太田氏はあまり好きではないし、サンジャポも全く見ないのでその場の雰囲気や話の流れなどは分かっていないのですが、炎上の内容に少し違和感があります。
たしかに小山田氏の発言内容は読むだけで不快な気分になる酷いものだし、その内容自体に擁護する余地はまったくありません。
だが…
①過去にいじめをおこなっていたという理由で、今の音楽活動を法的根拠なく制限することが妥当か。
現時点において優れた楽曲が制作できるなら、そして契約の当事者が納得して制作を依頼するなら、それを外部から批判して圧力をかけることはするべきではないと思います。
過去にいじめを行っていた人が障がい者スポーツの祭典であるパラリンピックに関わるべきではないという意見も散見されますが、それも考えようによっては「過去にはいじめを行っていたが、今は改心して優れた楽曲を制作している」とも取れます。
そもそも日本人で今まで全くいじめに加担したことがない人がどのくらいいるのでしょうか。それ以外にも法律を全く犯したことがないという人がどのくらいいるのでしょうか。
②この雑誌が発売された1990年代において、小山田氏の発言は全く問題にされませんでした。少なくとも僕は小山田氏の発言を今回の騒動で初めて知りました。
当時の日本の価値観はこの発言をそこまで問題視しなかったということです。
つまり爆笑問題・太田氏の言う通り、今とは価値観が異なっていたのです。
①については賛否があると思いますが、②の太田氏の発言については批判されるべき点は全くないと言えます。
太田氏は好きでないが、今回の批判はただの言葉狩りだと僕は思います。
日本は聖人君子しか住んでいない夢のような国…ではない。
残念ながら。
あまり過去の言動から攻撃する材料を探して生きていくようなことはやめた方がいいと思う。
自戒も込めて。